2010年10月26日火曜日

植物の力?!

自宅から自転車で10分ぐらいのところに、巨大なホームセンターがある。建材や大工道具から自転車、家具、そして食料品まで揃えてあるジョイフル本田というお店だ。千葉県を中心に展開しているようだ。
昨年、新居に引っ越してから、休みの日など一人でぶらりと出かけることが多く、この前の日曜日もぶらりと訪ねた。ガーデニングコーナーをふらふらして気がついたことがある。店員もお客も、「いい顔」をしているのだ。いかめしい顔などしていない、子どもにがみがみ怒ったりしていない、店員に文句を言ったりしていない、……のである。
苗木を前にして、店員と客が、会話しているではないか。
店員:「こんな高い値段付けなくてもいいんだけどなあ。でも、これは長くもつから買得!」「この枝、切っておくね」
客:「うちの旦那はすぐダメにしちゃうのよね」
などなど。
「植物の力」(!?)を見せつけられた思いがした。
そういえば、生まれ故郷の田んぼや畑で、大声で怒鳴り合う光景など見たことない。誰もが、楽しそうに仕事をしている(と見えるだけかもしれないが)。少なくとも、穏やかな顔をしている!!
満員電車の無言の空間とは正反対の光景だ。
いや、私たちのほんとうの姿はこちらではないだろうか。一日どれだけの笑顔を見せられるか。一生のうち、どれだけ笑えるか。それが人間の価値を決めるのかもしれない。

2010年10月24日日曜日

日仏会館へ

23日は恵比寿にある日仏会館へ出かけてきた。日仏の研究者によるシンポジウム「政治と官僚の関係を問う」を聴講するためだ。偶然、インターネットで見つけたのだった。2日間にわたるものだったが、初日のセッションのみに参加。このセッションは、日仏の官僚制を歴史的に考察するもので、日本からは、牧原出先生が報告者として登壇した。明治維新から戦後にわたる日本の官僚制の歴史をわかりやすく解説なさっていた。
総勢80名ぐらいの参加だろうか。おそらく、研究者や学生が主で、素人は私ひとりだったかもしれない。
5時半ごろ中座。いそいで八千代の自宅へ。
ちょうどフランス語の学習を再会し始めたこともあり、そこかしこで繰り広げられたフランス語を耳にしたことはいい刺激になった。

2010年10月17日日曜日

名古屋で学んだこと

9日(土)から11日(祝)まで、名古屋に出かけてきた。市内の大学で開催される学会への参加が第一の目的。お世話になっている先生方が報告者として登場することから、前々から気になっていたものだ。直前までどうしようかと悩んだが(時間とカネ)、家族を説得して、思い切って行くことにしたのである。
著書を通じて名前だけ知っている先生方の声を生で聴くことは、とても有意義であった。また、名刺を交換させていただく機会はありがたい。
ただ、ここで白状するなら、研究者でない私のような者にとっては、一流の先生方の報告を聴くこと自体が、「脳力」を試されているようで、研究会というのは、いつもいつも自らの無知を実感する場となるのである。先生方の報告に追いついていこうと、もう頭がパンクしそうになること毎度のことである。そういえば、大学のときも、90分の講義が朝から4コマも続いたときには、もうクタクタだったことを思い出すのである。人間は、何も身体を動かしたときだけ疲れるのではない、と言うことを改めて感じるのだ。
そんなことを言い訳にして(?!)、10日(日)の午前中は、名古屋市内を駆け足で巡った。名古屋城のことは、金の鯱でもちろん知っていたが、よくよく考えれば城主は??? そんなことすら知らなかったことを恥ずかしく思った。そんなこんなで、文字通り駆け足で、尾張徳川家の勉強ができたのはよかった。
今回から何度か、この3日間で感じたことを書いてみたい。

2010年10月14日木曜日

10年振りのフランス語学習

フランス語を再び勉強し始めている。9月からアテネフランセに週一回(毎週水曜日)通っているのだ。週一回三時間。フランス人による直接教授法。それなりのものだ。仕事が終わってからその足で行って9時半まで。スタートしてから13日で1カ月が過ぎ、4回が終わった。これからが正念場、と考えて打ち込んでみたい。
大学に入って第2外国語で履修したのが20年近く前。その後、1カ月だけトゥールの語学学校に滞在したり、ラジオ講座で勉強したり、フランス語検定を受けたり、フランスへ旅して日常会話を楽しんだり、とささやかながらつながりを持っていたが、ここ10年ほどはぱったりと縁が切れた。おそらく、2001年の冬、妻と20日間ほどフランスを旅行したのが、「生の」フランス語との最後の接触だったかもしれない。前にも述べたが、妻はその後も断続的にフランス語に接しているため、常に身近なところにフランス語は存在した。しかし、なかなかペンを片手に勉強するまでには至らなかった。それこそ、昔の良い思い出、にしてしまおうと思ったこともあった。
でも、これから何年生きるか分からないが、せめてもう一ヶ国語ぐらい、触れておきたい、と思ったのである。通訳したり翻訳家になったりなどという大きな目標などではない。実際に、この1カ月間で、自国語以外に触れる効用は多いことに改めて気づくのだ。まず、フランス語を読む(まだ、見る、というレベルだが)ことが、楽しくなりつつある。そして、フランスのことを自然に気にするようになった。これは、日々の生活に潤いを与えると思う。視野が広くなる、と言えば一般的すぎるが、世界は広い、ということが実感できるだけでいい。