2011年12月30日金曜日

2011年が終わります

2011年は、多くの人に出会い、そして助けられた一年でした。
心より、感謝申し上げます。
吉田書店として4月にスタートしたわけでしたが、お陰様で2冊の本を世に送り出すことが出来ました。そして、3冊目『現代ドイツの政党政治の変容』は、1月10日には配本予定です。

昨29日を「仕事納め」と位置づけ、残務の整理をしながら、狭い事務所のデスクでこの1年をあれこれ振り返っておりました。
おそらく、今年ほど多くの人に出会った一年はありません。何人の方々と名刺交換をさせて戴いたか……。皆さまと交わした会話の一つ一つが財産です。
来年は、どんな方々とお会いできるか、今から楽しみです。
そんな希望を持ちながら、ノートパソコンとゲラを鞄に詰め込み、事務所にしばしのお別れをしてまいりました。
30日から、私の実家(山形)と妻の実家(福島)へ滞在します。
いま、このブログは、雪深い山形の実家で書いたところです。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年12月16日金曜日

『大学受験必修 物理入門』と『福島の原発事故をめぐって』の間

3.11原発事故を受けて、様々な“原発本”が出版されている。
その中でも、『福島の原発事故をめぐって』は書評などでも取り上げられ、多くの人が手に取った本ではなかろうか。(もちろん、私もその一人)
著者の山本義隆氏は、誰がなんと言おうと、私にとっては、「山本先生」なのである。
駿台予備学校で1年間にわたって物理の授業を聴いた。物理の面白さと美しさと難しさを再認識させてくれた先生である。「紙と鉛筆を持ってひたすら手を動かして計算をせい」と、つねづね口にしていた姿が昨日のように思い出される。
「科学史家」、そして「元東大全共闘議長」「学生運動の闘士」…などといった枕詞よりも、私にとっては物理の先生だ。

で、その山本先生の授業を1年間聴くに際し、常に手元においていたのが『物理入門』である。(大学に合格できたのもこの本のお蔭かも。)
大学入学後も、この本はずっと手元に置き続けている。『福島の原発……』と並べ、久々にページを手繰ってみた。
その本の最終頁には、こうある。
(「原子核について」という節が最終節なのである。)
(物理の授業は、力学から始まり、熱学、波動、電磁気学などと進み、最後は、現代物理を学び、原子核で閉じる、というのが一般的――今もそうではないかと思う)

「……水素爆弾や原子爆弾の非人間性はいうまでもないが、原子炉も、一度事故が起これば放射性物質を広範囲にまき散らし、その危険性は、その及ぶ規模と期間において他の事故とは比較にならないほど大きい。
のみならず、原子炉は質量をエネルギーに変えていると通常いわれているが、正しくは、結合エネルギー(質量欠損)のわずかな差をエネルギーに変えているのであり、質量数(核子数)自体は保存するので、エネルギーを取り出しても核子の総数は変わらず、それらが放射性原子核として残され、原子炉を運転すればするほど危険な放射性廃棄物が生み出され、そのつけを子々孫々に残すことになる」

受験参考書の本文が、こう締めくくられているのだ!

私が手元に持っているのは、1991年2月の初版9刷。改訂を重ねて今も駿台生には必携であろう最新版もこの部分は不変であった。

山本先生は、ずっと言い続けてきたのだ。予備校の教壇から、未来の原子力エリートに対しても伝え続けていた。
『福島の原発……』を一気に読み終えたが、その語り口は静かであるからこそ、深く考えさせられるものがある。『物理入門』と何ら変わりはない。
手元にあるこの2冊の間に、何ら矛盾も齟齬もない!

表紙を開いた見返しに、山本先生からいただいたサインが残っている。
「吉田真也兄 著者 山本義隆 一九九二年一月三一日」
このサインの入った『物理入門』をお守り代わりにして受験会場に向かった日から、間もなく二〇年が経つ。

2011年12月7日水曜日

『現代ドイツ政党政治の変容』が1月上旬刊行!

吉田書店の3冊目が、2012年の年明け早々に刊行する運びとなった。今日7日に校了。
現代ドイツ政治がご専門の小野一先生による『現代ドイツ政党政治の変容――社会民主党、緑の党、左翼党の挑戦』である。

“左翼”や“左派”といった言葉に対する考えは人それぞれかもしれない。そして、日本において、政党を右と左に分けることなど、もはや無理なのかもしれない。
しかし、ドイツにおいては、少なくとも、左派ということで、社会民主党(SPD)、緑の党、左翼党が存在する。

本書は、それら3党を軸に、近年のドイツで進行する政治的再編成を鳥瞰することからスタートする。そして、2010年1月に誕生した「連体的近代のための機構」という左派の超党派シンクタンクを紹介。このシンクタンクの動きをつぶさに見ると、現代政治への問い直しを迫る多くの問題提起が含まれていることに気づくのである。
エネルギー政策を例に取れば、原発を巡っても、各党はつねに議論をし続ける。そうした研鑚が、3.11後の素早い対応の根底にあるのだ。カバーには、ベルリンでの反原発デモの写真を使ったが、これは、09年の出来事なのである。3.11フクシマ後に、急に思い立ったデモなどではない……。
また、ベーシック・インカムについても一章が割かれた。多義的な概念を、今一度解きほぐすために、過去の議論を整理いただいている。
本書は、「ドイツ政治の研究者のみならず、実線活動に携わっている人、そして世界と日本のあり方を模索するすべての人に読んでもらえたら幸い」(あとがきより)という、著者の願いが随所に詰まっている。

 小野先生は、福井県の敦賀で育ったという。敦賀といえば、原発の街……。
10ページにわたる、ちょっと長めの、著者による「あとがき」のサブタイトルは「青い海を見に行こう」。本書を手にしたら、「あとがき」からお読みいただくのもいいかもしれない。

2011年11月27日日曜日

日経新聞読書面に広告を掲載しました

11月27日付の日本経済新聞朝刊に広告を掲載した。代理店の方に声をかけていただいて実現したものだが、『グラッドストン』と『指導者はこうして育つ』の2冊を並べて、読書面に。
発行部数300万だが、そのうちどれだけの人が日曜の朝刊を読み、かつ読書面に目を留め、そしてその下の広告欄の片隅にある「吉田書店」に興味を持ってくれるだろうか。

新聞という媒体が以前よりパワーを失った、とはよく言われているが、少なくとも、私自身が購読し続けるうちは、本をPRする上でも第一の媒体と考えたい。
あの一覧性は、何ともいえない。朝起きて、眼をこすりながら、パラパラとめくる感覚は、今のところはパソコン、スマホでは味わえないと思うのだが・・・。

でも、パラパラとめくるだけで終わったら、読書面の下の広告は見逃されてしまうのか。

いずれにしても、まずは、「効果」のほどを期待したい。

2011年11月24日木曜日

柏倉康夫先生のブログ

小社にとって1冊目の本(まだ2冊なので、「1冊目」などと大げさに言うことではないが)は、柏倉先生による『指導者はこうして育つ』。

その柏倉先生が、この夏からブログを開設している。
http://monsieurk.exblog.jp/
ぜひ、一読をお奨めしたい。
その博識さがすぐに伝わるのではないだろうか。

私にとって一番興味深いのは、何と言っても、NHK時代の取材記。
今のようにパソコンやネットなどがない時代、国際ジャーナリストとしてどんな取材活動をしていたのか、手に取るようにわかる。まさに、ジャーナリスト=歴史の証人なのだと再確認。

もちろん、マラルメのこと、フランス事情など多方面にわたる文章も。


小社では、『指導者はこうして育つ』に続いて、2冊目の本も予定しております。どんな主題の本か、お楽しみにお待ちください! 2012年秋の刊行を目指しております!

2011年11月20日日曜日

「こだわる」に、こだわる

「……そもそも売り物って、こだわって、こだわりぬいて、作り続けなければいけないものなんだろうか。みんなが求道者のようにならなければいけないものなのだろうか。もっと適当に作ったものが、十分に売れ続けるほうが、作り手売り手として、ゆったり平和に暮らしていけるんじゃあないか……」
『読売新聞』11月18日付け夕刊(東京)に、ルポライター・イラストレーターの内澤旬子さんが書いている。
商品広告で「こだわりの」とうたっているのを見ると、げんなりする、と。

確かにそうかもしれない。私も賛成だ。「こだわる」のは自由だが、それを自ら口にしてしまうのには、抵抗がある。
居酒屋のメニューで、「こだわりの一品」なんて目にすると、へそ曲がりの私は、別の品を頼んでしまう。ごく普通の、刺身三点盛り、で充分。

そもそも、「こだわる」という言葉の意味は、否定的な感じが第一義的なんだと、これも、誰かのエッセイで読んだことがある(私の記憶が間違いなければ、俵万智さん)。
手元にある国語辞典を引いても、「①そればかりを(いつまでも)気にする。②〔自分なりに〕細かいことがらについて主張を押し通す」(三省堂国語辞典、第5版、2001年)と出てくる。もしかしたら、言葉の意味も世につれ変化するから、最新のものでは説明が異なっているかもしれないが……。

このことは、本の送り手、としても考えさせられる。
書き手の方と一緒になってどんな本作りを目指すべきか。

すくなくとも、送り手が、この本は「こだわって作りました!」と叫ぶのはいかがなものか。
具体的に、本の内容、カタチ、を具体的に説明することが求められるのだろう。
そういう意味では(語弊をおそれずにいえば)本も、食べ物も、商品としては同じだと思う。

こんなことに、こだわる私自身が、こだわりすぎの人間かも。

追記
そういえば、「適当に」という言葉も、「いいかげんに」と解釈されてしまいがちだが、「よくあてはまること」「ちょうどいいこと」というのが本来の意味のようである。
冒頭の引用、内澤さんも、そういう意味で、「適当に作ったものが」と述べているのだと思う。

2011年11月16日水曜日

39歳になりました

11月9日、私は39回目の誕生日を迎えた。
これまで、あまり年齢のことを(つまり誕生日のことなども)、気にするほうではなかったが、今年は、ついつい考えることになった。

一つには、30代も残り一年になった、ということ、
二つには、吉田書店を立ち上げて最初の誕生日であった、ということ、
がその理由である。

こうして、自分の社を立ち上げると(それもたった一人で)、身体が資本、という思いを強くする。万が一のことがあれば、それこそ大変なことになるわけだ。

もともと、体力に自信があるほうではない。むしろ、ヨワッチイほうであろう。小学生のころから、運動は大っ嫌い。マラソン大会ではいつも最下位だった(未だに、なぜ、逆上がりが人生にとって必要なのか、なんて真剣に考えている始末)。
そして、肉を食べない(嫌い)。タバコは吸わないものの、栄養ある食事を摂っているとは自信を持てない。
やはり、心配になる……。

せめて、心だけでも健康に、とは思っている。それには、吉田書店を一日でも早く軌道に乗せることかもしれない。いや、軌道に乗せるためにこそ、心が健康であるべきか!?

とにかく、30代最後の一年は、一日一日を、心も頭も体もフル回転させたいものである。

※フェイスブックなるものをスタートしてみました。軌道に載ったら、HPやこのブログとも連動させてみたいものです。

2011年11月5日土曜日

『図書新聞』で、柏倉康夫先生のインタビュー記事が出ました

『指導者はこうして育つ』の著者である柏倉康夫先生のインタビュー記事が、『図書新聞』の11月12月号に掲載された。
顔写真入で大きく扱っていただいた。『図書新聞』の皆さまには心から御礼申し上げたい。

本書のタイトルに「指導者(リーダー)」と入っていることから、どうしても、エリート教育を主眼にしているように思われがちであるが、決してそうではない。小中学校の教育についても多くのページを割いている。
今回の記事でももちろん触れている。フランスの子供たちは、「人はみんな違う考え方をする」ということを学んでいる、と。

そして、フランスでは、グラン・ゼコール出身者の特権的地位に対する問題があることも、読み取っていただきたいのである。

インタビュー記事で、柏倉先生は、次のように述べる。
「・・・フランスの社会では、学校の成績が万能ではなく、家具を直す技術を持っている人や、穀物を上手に育てる人は、その能力によって社会的に十分尊敬されてきました。それが崩れたとき、教育的資産を身につけた者が得するようになったらどうなるのか。みなが社会の中で役割があるのです。そのことが忘れられがちなのが大きな問題です。」

ぜひ、一読をお勧めします。大きな図書館などには必ずありますし、もちろん、都内の大型書店などでは、雑誌コーナーで販売していますので。

2011年10月30日日曜日

「神保町の匠」で紹介されました(『グラッドストン』)

吉田書店にとって2冊目の本となる『グラッドストン』が刊行されてから2週間が経つ。
小さい出版社にとっては、まずは本の存在を知らせるのに一苦労。
そんな中、三省堂書店の公式ブログ「神保町の匠」で、『グラッドストン』を取り上げていただいた。
http://www.books-sanseido.co.jp/blog/takumi/2011/10/post-340.html
小林章夫先生による紹介である。こうしていち早くネット上で本書の存在を知らしめていただいたことに深く感謝申し上げたい。

ところで、小林先生といえば、NHK教育テレビで英会話の番組に出ておられたこともあり、またイギリス文化に関する多くのご著書をお持ちの方。

このブログを書いている私の目の前の本棚にあったのは以下の2冊。
 『イギリス貴族』(講談社現代新書)
 『図説 ロンドン都市物語――パブとコーヒーハウス』(河出書房新社)
(後者は、私が2001年にロンドンへ旅した際に持っていった記憶がある。)

さて、先週は、新宿の大型書店、早稲田大学生協、慶応大学生協を訪ね、本書を店頭においていただくよう営業してまいりました。快く応じてくださった書店員の方々にこの場を借りて御礼申し上げます。

早稲田大、慶応大の生協には、早々に入荷予定です。ジュンク堂書店新宿店には3冊、紀伊国屋書店の新宿南口、東口の両店には1冊ずつ店頭においていただいておりました。

2011年10月23日日曜日

産経新聞で『指導者はこうして育つ』が紹介されました!

10月23日(日)付けの産経新聞読書面で、小社の1冊目『指導者はこうして育つ』(柏倉康夫先生著)が紹介されました。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111023/bks11102311340009-n1.htm
たいへん嬉しく、有難いことです。
署名がなく、どなたが書いてくださったのか分りませんが、ここに、深く御礼申し上げます。
最後の数行では、吉田書店のことまで触れていただいて、気恥ずかしい思いすら致します。
もし、お書きになられた方がこのブログをご覧になられましたら、ぜひ小社までご一報くださいませ。
改めて御礼申し上げたく、そしていろいろとお話させていただきたく・・・。

産経新聞の読者の方々が、この記事をきっかけに、本書に興味を持っていただければ何よりです。

2011年10月2日日曜日

2冊目『グラッドストン』が10月中旬に刊行されます!

吉田書店にとって2冊目の本となる『グラッドストン――政治における使命感』が10/14に刊行されます。
グラッドストンという19世紀のイギリス政治家が、世間にどれだけ知られているのでしょうか。
19世紀のイギリス政治に黄金時代をもたらした一人の大政治家の生涯をとおして、混迷する現代の日本の政治を考えることは意義深いことだと考えます。
そして、本書を通して、当時のイギリス政治(のみならず社会全体)への興味を膨らませていただければ、この上ない喜びです。

本書は、故・神川信彦教授によって1967年に潮出版社から刊行された同書名の本の復刊です。同年の毎日出版文化賞を受賞したことからも分かるように名著と呼ぶにふさわしい1冊です。44年経った今、装いも新たに世に送り出すことに致しました。巻末には、君塚直隆先生による解題をお寄せいただき、21世紀の日本に、文字通り、本書を甦らせることができました。

44年も前に出された本の位置づけや、今読み返す意義、グラッドストン研究の最新の状況などについては、本書巻末の君塚先生による解題をお読みいただきたく思いますが、ちょっと違った視点から、本書の魅力を少しだけ、ご紹介いたします。

まず1つめ。文章の読みやすさ、です。
当時のイギリス政治に詳しいわけでない私が、本書を読み通すことが出来たのは、何よりも、流麗な一文一文の書きぶりのおかげです。そのためか、同時代に生きていた感じにさせてくれます。また、章の見出しなどにも読者への配慮が見られます。たとえば、「大樹に風は鳴る」「老樹の悲願」「倒れて後やむ」と言った見出しです。
2つ目。政治(政治家)について考えるヒントが、随所に散りばめられていることです。
たとえば・・・・
「『豹変』できない政治家は、政治家の名にあたいしないのである」
「『課題』を『現実』に変えてゆく真の現実主義は、通常のいわゆる現実主義者には達成できないもののようである」
そして、3つめ。それは、1冊の中に、いろんな“豆知識”が隠れている、ことです。
たとえば、「ボイコット」という英単語の語源を、私は本書によって知りました!

さて、本書の刊行には多くの方々にお世話になりました。
まずは、著者である故・神川信彦先生のご遺族です。
出版社を立ち上げて間もない私からの突然のお手紙にもかかわらず、本書刊行を快諾いただいたのが4月末。その後は何度かご自宅にお伺いさせていただきました。神川先生が退職なさったあとの都立大入学である私にとっては、信彦先生の奥様からお聞きする昔の都立大にまつわるお話は、大変興味深いものでした。本書をお届けするのが今から楽しみです。
そして、巻末に解題を執筆いただいた君塚直隆先生。
先生には、解題のご執筆だけではなく、本書全体についてさまざまな点でご相談に乗っていただきました。まずは、本書に出てくる人名や地名の表記を44年経った現代にふさわしいものに変更するにあたって、全面的にご教示いただきました。そして、各章の扉(トビラ)に掲載する写真や絵の選定ではキャプションの文言までご指導いただきました。
また、本というカタチに仕上げるに欠かせない作業をお願いしたお二人。本文を組んでいただいた閏月社さん、装丁を手がけてくださった折原カズヒロさん。44年ぶりに世に出る本書が、古びた感じを与えず、新鮮に感じさせるようになっのは、まさにお二方のおかげです。本書を手にすれば、必ずや実感いただけると思います。

一人でも多くの読者にお届けできれば、と念じております。

2011年9月25日日曜日

3.11から半年。福島の桃、梨、林檎から考える

あの大地震から半年が過ぎた。時々余震が起こるものの、東京に住んでいると、3.11は少しずつ過去形になりつつある、と言うのが本当のところではないだろうか。
「あの時どうしてた?」 なんて会話を何気なくしている。

8月下旬、毎朝の朝食に福島の桃が一品加わったことを思い出す。そして、来週からは、福島の梨、が一品加わることを楽しみにしている。
桃や梨は、フルーツ王国と呼ばれる福島にある、妻の実家から送られてきた(くる)もの。

朝食はヨーグルトとコーヒーのみ、という私のいつもの朝食に、このときばかりは、一品加わることになる。(妻と子は、ご飯に味噌汁の規則正しい食事です)。

60歳を過ぎた老夫婦ふたりで、福島市郊外で果樹栽培を続けているのだが、原発問題で、先行きは全く不透明。
桃を送るという日の朝、「ところで、福島の桃は食べっか? 一応、放射能の検査はクリアしたげんど・・・」
そんな断りを、娘の家に桃を送る前に一言確認を取らなければならないほどになっている。
今が最盛期の梨も同様。

地震だけであったら、とつくづく思う。
地震当日は、あれだけの揺れで、築100年以上の木造の家も、屋根瓦一つ崩れなかったこともあり、むしろ、千葉に住むわれわれのマンションの方を心配していたくらいだ。
もちろん、大地の揺れ如きで、簡単になぎ倒されるような林檎の木ではない。

桃、梨、林檎、と続く、夏から冬にかけては、1年で最も忙しいものの充実した時期。
原発問題さえ起きなければ、今頃は、収穫の忙しさとともに、地震のことも過去形になりつつあったと思う。日常の経済生活を取り戻していたことだろう。

声高に何を訴えるでもなく、よく言えば淡々と生きてきた、ごく普通の福島県民。こんなことになっても、表立った行動などしていない。まあ、どうなることやら・・・と言う程度だという。
なぜもっと怒らないの? そんなもどかしさすら感じたくらいである。
しかし、彼らにとっては、そんな意味のない同情はかえって迷惑かもしれない。ただただ、3.11前の生活を求めている(懐かしんでいる)。復興でも復旧でも、なんでもいいのである。
テレビなどに映る、「発言する被災者」は、むしろ少数派なのかもしれない。「にわか福島県民」が増えることに、違和感すらかんじているかも。

私に出来ることといえば、ただただ自らの仕事を、生活を、真面目に送るだけかもしれない。
そう、1年後になる2012年3月11日まで、自らの成長を感じられるように。

2011年9月8日木曜日

1冊目を刊行できました!(『指導者はこうして育つ』)

出版社としての1作目ができました。
柏倉康夫先生著『指導者(リーダー)はこうして育つ――フランスの高等教育:グラン・ゼコール』(1995円)です。
本日8日には、流通経路にも乗った頃かと思います。
カバーや奥付に「吉田書店」などとあるのを目にしますと、改めて、出版社としてスタートしたことを実感いたします。
一人でも多くの読者を獲得したいものです。

これまで一面識もない柏倉先生にお手紙を差し上げたのが4月末。それからちょうど4か月たった8月末に、先生に本をお渡しできたことは、何とも嬉しくありました。ここに改めて御礼申し上げます。

全国の書店に「並ぶ」というのは、小出版社の場合はなかなか難しい面はありますが、どこの書店からもご注文いただくことはもちろん可能です。そして、小社への直接注文も承っております。(HP内の注文フォーム http://www.yoshidapublishing.com/shopping.html
都内の大型書店には配本されていると“信じ”、これから神保町の書店を覗いてまいります。

2011年8月19日金曜日

1冊目『指導者はこうして育つ』が刊行されます

柏倉康夫先生著『指導者(リーダー)はこうして育つ--フランスの高等教育:グラン・ゼコール』が9月5日頃に発売されます。

9月初旬の刊行という告知どおりの進行にまずはホッとしているところです。
すでにお伝えしておりますように、本書は、1996年にちくま新書から出された『エリートのつくり方--グランド・ゼコールの社会学』の“改訂版”になります。
1996年といえば、まだEU統合前で、通貨はフラン。インターネットも草創期・・・。その後15年の動きは大きく、フランスの教育も変化したようです。最新の事情も加筆いただくなどし、タイトルも改めて世に送り出します。「バカロレア」「グラン・ゼコール」といった言葉に象徴されるフランスの複雑な教育制度を分りやすく紹介いただきました。
バカロレアの最新の「哲学」の問題も、柏倉先生に訳していただき掲載しました!
ぜひ、読者の方々にも挑戦いただきたいものです。(私など、問題の意味を理解するだけで四苦八苦!)

出版社としての記念すべき1冊目!
一人でも多くの人に手に取っていただきたいと念じています。248頁、1995円(税込み)です。

カバーは、フランス学士院とコンドルセ像をあしらっていただきました。近々、HPにも紹介します。

本と言うカタチに仕上げたとしても、それを、いかに一人でも多くの読者に届けるか--、出版社として、編集とは違うもう一つの大きな仕事として流通、営業面があることを、改めて認識している日々です。

大手出版社の文庫本などとは違い、全国各地の書店に平積みで並ぶことはちょっと難しいわけですが、じわじわと浸透していくことを密かに期待しています。書評などでも取り上げていただければありがたく、各方面にPRしてまいりたいと思います。

アマゾンとは直接の契約を行いましたから、すでに「近刊」と言うことで表示されております。
もちろん、小社のHPを通して直接販売も積極的に行っていくつもりです。

こうして、本を実際に出す段階になると、初めてのことばかり。一つ一つが勉強です。

しかし、10年前と比べても、新規創業のカベは低くなったと実感します。30年前などとは比較できないくらいではないでしょうか。パソコンの存在は大きいと思います。そして、インターネットの恩恵は計り知れません……。
上記のような、アマゾンだの、直販だの、、、これは30年前には考えられなかったことですから。

あと10日あまり、最後の詰めの作業が残っておりますので、気を引き締めております。


ここで、2冊目についてもご報告いたします。

故・神川信彦先生著『グラッドストン』です。こちらは、解題執筆をお引き受けくださった君塚直隆先生のご助力で、10月初旬の刊行がほぼ間違いない(私がきちんと仕事をこなせば)状況です。こうしてお知らせできることが嬉しくあります!

復刊に当たっては、新たに文字を組みなおしたことなどから、細部に亘る作業が残っております。44年ぶりの復刊が、意義深いものとなるよう、気を引き締めて最後の追い込みに励みたいと思います。
500頁近いことから、本体価格は4000円前後と考えております。ただ、直接注文のかたがたには、何らかの「割引」が出来ないものかと、思案中です。

2011年7月31日日曜日

『ちいさな哲学者たち』

『ちいさな哲学者たち』という映画を観てきた。
「ちいさな」というのは、幼稚園児のこと。
そう、5,6歳の子どもが、「愛って?」「自由って?」「死って?」などと語り合うのだ。
これは、ドキュメンタリーであり、フランスにあるジャック・プレヴェール幼稚園(この名前がまたいい!)での実際の授業を撮影したものである。
初回では、何にも話せず、無言の空気が流れていた。それが、回を重ねるごとに、園児は饒舌になる、適当な言葉を探りながら、隣の友達を時には遮り、発言する。そしてそれに対する、反論と同意。勿論、睡魔に襲われる園児も・・・。
対話を繰返すことの重要性、そして面白さを、園児たちは自然に感じるようになったのである。
こうした取り組みが出来る背景には、やはり、「哲学」を重視するフランスというお国柄があるのは確かだろう。
園児と共に、この映画の主人公とも言える、パスカリーヌ先生の事前の準備は並大抵のものではなさそうだ。子どもだからといった手抜きは一切ない。子どもに対して真摯に語りかける。一語一語を大切に口にしていた。そう、大声で怒鳴ることの無意味さをも我々に教えてくれている。

東京の新宿武蔵野館ほかで公開中。
http://tetsugaku-movie.com/

小社の1冊目となる、『指導者はこうして育つ――フランスの高等教育:グラン・ゼコール』は、フランスのおける「哲学」の位置づけが紹介されている。
タイトルにはないが、フランスの小学校、中学校の授業の様子も。
2200円+税で、9月上旬には刊行できそうです。

2011年7月20日水曜日

安達峰一郎博士書簡集を手にして

安達峰一郎という人物を、もっともっと世に広めたい。そんな思いでいるのは、私自身が山形の生まれだからだろうか。
常設国際司法裁判所長を務め、亡くなった時はオランダ国葬をもって送られた、「世界の良心」である安達博士。
そんな人物なのに、一般的な知名度は低いのかもしれない。山形県でも、誰もが知っている偉人、という位置づけではない。福島の野口英世、とは比較にもならないだろう。残念でならない。

大学時代に、国際法という講義を受けたものの、もちろんそこで安達の名に接したことはなかったと思う。その後、こうして政治や歴史関係の本の編集に携わるようになると、端々にその名を発見し、ひとり悦に浸っていたような状況だ。

このたび、安達峰一郎博士の書簡集が、地元山形県山辺町(やまのべ、と読む)の教育委員会から刊行されたと知り、急ぎ購入した。
書簡のみをただ単にジョイントしただけでない1冊である。それこそ、国際法、などというものに縁のない人々でも、読めるように工夫がされていた。そして、「本書を読むための予備知識」などと言うページもあり、候文の読み方まで伝授。
編集感覚の優れた1冊であると感じた(私も見習わなければ)。
彼の生い立ちから順に章立てがしてあり、書簡の合間に解説もあり、ゼロから安達を学ぶには最適と思う。通勤の車中で候文を読んできたが、将来の妻となる鏡子への面会依頼(付き合いの申し込み?)の書簡などもあり、飽きることなく、全く居眠りをさせてくれなかった。

いずれ、安達峰一郎に関する本を、編集者として手掛けることができれば、この上ない幸せである。

ちなみに、安達のほか、私には、山形にゆかりのある意中の人物があと二人いる。
結城豊太郎と我妻栄。
いずれ、編集者として、この3人に関わりたいと強く願っている。

2011年7月10日日曜日

「南スーダン独立」のニュース

9日付の朝日新聞の夕刊1面の左端に、「南スーダンが独立」との見出しを目にした。
よくよく考えれば、ビッグニュース。アフリカでは54か国目の国家だという。
「南」があるなら、ただの「スーダン」が当然あるはずで……、なんていう基礎的なことすら、知識はあいまい。
世界は、刻々と変わるという当たり前のことを実感。
そういえば、震災前、リビアのカダフィ大佐が紙面を賑わしていたが、その後の動きはちょっと忘れ去られてしまったような。

(ちなみに、トップニュースは、高校野球が宮城で開幕したこと。カラー写真入り。)

2011年7月8日金曜日

今日で100日目

あっという間の100日だった。4/1に社を細々とスタートさせてから、今日8日が100日目。心身ともに元気に迎えられたことを嬉しく思う。まだ本を送り出せていないので、半人前であるが、出せる見通しが立った、というだけでもまずは合格点を自分にあげたい。ちょっと甘いかもしれないが。
この100日間、多くの人に出会ったことが何よりの財産。人と会うたび、自らを省み、反省し、また次への課題を見つける、そんなことの繰り返しだった。「○○の吉田です」とは言えなくなった。「吉田と申します」と、真正面からぶつかる日々。組織に属さないということは、人間“丸ごと”試されるのだな、と実感。
そして何より、1分1秒をどう過ごすか、試されていることを感じる。
明日からも、元気に頑張りたい。(と、理由を付け、今日は早めに就寝します)

2011年7月6日水曜日

村長と司祭とパン屋さん

「フランスではパン屋さんは、村の中で最も重要な人物3人のうちの1人です。村長と司祭とパン屋さんですね。毎日のように会う人達だし、その地域で重要な役割を担っています……」(NHKテレビテキスト『テレビでフランス語』7月号)という言葉に出会った。フランス人のパン職人の話である。そして、「特にパン屋さんは朝一番に会う人で、たいてい一日の最後に会う人でもあります。だからお客さんとの独特なコミュニケーションがあって、それもこの仕事の魅力ですね」と。
此方、今の日本の場合は、どんな職業になるのかしら。まさか、村長とお坊さんとお米屋さん、といった時代もあったのだろうが。

2011年7月3日日曜日

くどいようだが、「スーパークールビズ」にもう一言

7/1(土)の東京は、前日までの猛暑日とは違い、風も爽やかな一日だった。
節電対策としての土曜出勤がスタートした、というニュースが夕刊やネットで報じられた。
時事通信配信の記事によると、環境省では、江田大臣も登庁し、「沖縄で夏に着用するかりゆし姿で、『頑張ってください』などと勤務中の職員を激励し」「記者団に、『今の電力事情に対応するため、知恵を総動員する』と述べ、今後も率先して節電対策に取り組む考えを強調した」とのことだ。
そもそも、輪番勤務が妥当かどうかの議論はおく。

1)かりゆしを着る必要性はあったか?
2)大臣が、庁内を廻り、それを撮影させる必要はあったか?
3)「頑張ってください」などと、言う必要があるか?

私見は以下の通り。
1)少なくとも、1(土)は前日までと比べものにならないほど涼しかった。かりゆしまで着る必要は全くなし。江田氏が毎年愛着しているなら別だが。どう見てもパフォーマンス。
2)勤務時間中である。通常通り仕事を淡々とする、これが公務員。そこに、大臣がカメラとともに来るのはよほどの事態!? のはず。今回は異常事態なのか?
3)ついつい出た言葉だろうが、輪番勤務、ということでの出勤。そういう約束で来ているわけで、決してサービス休日出勤ではない。「頑張る」ものではない。どうしても部下に声を掛けたいなら、「国民のため、精一杯仕事に励んでくれ」かな。

やはり、「スーパークールビス」を、行政が音頭をとること自体が間違っているのではないかと思う。一民間企業がビジネスとしてやるならいい。バレンタインデーを、チョコ販売のテコ入れとして菓子業者が広めたと言われているように……。

環境省がやるべきこと、知恵を総動員すべきことはほかにもっとある。くどいようだが、「スーパークールビズ」の普及活動などを、行政が税金を使ってまでやることではない、と強く思う。
なぜ、そこまでこだわるか、と言われそうだが……。
恐れるのは、若い職員がこんな仕事に嫌気がさして辞めてしまうこと。そして、組織全体として、地に足の着いた仕事に取り組む雰囲気が少なくなることである。
目に見える政策、分かりやすい政策、短期間で効果の出る政策、が求められる傾向にある(私自身、6年間の県庁時代、まさにその連続だった)。トップの任期が4年ある県や市町村はまだいいかもしれない。生徒会の役員のように、まさに輪番制のように大臣をトップに据える国の官庁はそうした傾向にあるような気がしてならない。
節電対策の隆盛ぶり、はそのことと関係があるような気がしてならないのだ。「スーパークールビズ」は特に。

2011年7月2日土曜日

テレビをどうするか

我が家のテレビは、未だアナログ方式。2001年に山形で購入した21型のブラウン管テレビが鎮座している。3.11の地震のときは床に落ち(ブラウン管のテレビが床に転げ落ちるくらいの揺れだった!?)、画面に傷までついた。にもかかわらず、買い替えの意欲がわかずにいる。


テレビなんて、なければ観ないのではないだろうか。

娘が幼稚園に進むころ(5歳)までテレビを見せずにいた。さすがに、幼稚園に進んだあたりから、どうしても廻りの友達との会話についていけなく、彼女なりに「テレビ」の存在を知ったようなのだ。その後は、少しずつ観始めたものの、小学校に入った今も、同年代に比べればテレビとの接触時間は少ないのでは、と思う。
人に誇れるような育児はしていないが、あの5年間の「テレビ隔離政策」だけは正解だったと今でも確信している。

ここまできたなら、これを機にテレビなしの生活に変えるのもいいかと本気で思っている……。

確かに、私自身、一日を振り返っても、平日なら、朝はラジオのみの生活だし、日中は仕事、それで帰宅時間が遅ければ、結局は接触なし。
しかし、あるのに観ない、のと無くて観れない、のでは大きく違うのかもしれない。
どう決断するか。

2011年7月1日金曜日

何かがおかしい、この「スーパークールビズ」

3.11以降、世の中の雰囲気が変わったような変わっていないような。
変わった、と思ったこともあったが、実は何も変わっていないのではないだろうか。
私たちの社会は、どんなことも、すべて、「横並び」「右倣え」の風潮があるのではないだろうか。

大きな事件、事故が起きるたびに、「基準」を作ることに嬉々としている人たちがいるのではないか、そう勘ぐりたくなる日々だ。

一つの方向に社会全体が流れるこの雰囲気は何だろう。そういう意味では、相変わらずの光景だと思えるのだ。
一つの例として「スーパークールビズ」
この“ブーム”も、数年前の「クールビズ」の延長と考えれば、相変わらずの我々の行動様式、と言えないだろうか(そう、あのときは、私も県庁職員だった。いろんな文書が回覧されたものだ。いくら寒くてもネクタイをしてはいけない、そんな雰囲気すら漂っていたような……)。
服装ぐらい、個人個人が自らの判断で決めることができないだろうか。小学生の子供すらできることだ。決められたから、許可されたから、ということで衣装を決める、こんな屈辱的なことを受け入れるとは……。横並び主義以上の何物でもない。そんな決まり事を策定する前に、やるべきことはいくらでもあろう。役所にしても、企業にしても。
自分で自分に課題を与え、それに取り組んで、仕事をしたという満足感を得る、そういったことに我々は慣れ切っていないだろうか。
「いやあ、大変ですよ」、と口にしたがっている人が多すぎやしないか。
サンダルで通勤という人が、インタビューに答えていた。大手企業に勤めている社員の顔、なんか生き生きしていないか……。
未だに、この暑さで苦しんでいる避難所の体育館でいる人たちの思いとの落差を考える。
些細なこと、と言う考えもある。しかし、こういった積み重ねが、いろんな不祥事、の底辺にあると思うのである。自分で考え行動する、という根本。

最後に一言だけ。
暑かったらネクタイを外す、半袖にする、ジャケットを着ない、単純なことだ。
そもそも、ネクタイ、だって習慣にすぎないではないか。

2011年6月26日日曜日

「文学」のちから

本作りの仕事に携わっていながら、どれだけ文学に寄り添っているか、と問われるとはなはだ心許ない。
小学、中学、高校、と国語は不得意科目の一つであった。かと言って、決して嫌いではなかった。点数はよくなかったが、教科書を読むのは好きだった記憶がある。今に至っても覚えている授業は、数学や理科より国語だったりする。
大岡昇平を、矢内原伊作を好きになったのも高校の国語の授業がきっかけだ。
ちょっと、言い訳じみたが、決して私は文学を「軽んじて」来たわけではない。しかし、いつも後回し、だったことは素直に認めなくてはいけない。
小説読むより新聞読んだほうが、小説なんて「作り話」読むよりノンフィクションのほうが……。そんなことを口走ったことも過去にはあった。
そして、社会で働くようになってからは、つねに、贅沢モノ、という位置づけだった。
しかし、この震災でちょっと考え方が変わった。
3.11後、呆然とした中で、ついつい手にしたのは詩集だったり、昔読んだ宮沢賢治の本だったり、そんな人が多いと聞く。
そして、先週、あるかたに出会って、ますます考えが変わった。
文学を生業にするかた、にお会いした。芥川賞を受賞なさったかた、と言えば、一般的には伝わりやすいだろうか。
何の面識もなかったのだが、お手紙を差し上げ、週に二度もお会いさせていただいた。
その方は、私に、文学の力、を切々とお話になった。そして、東北と文学、ということをおっしゃった。
石川啄木、宮沢賢治、太宰治、柳田國男……。
わがふるさと山形にも、すぐれた文学作品は多い。
私は、真壁仁、という一人の詩人がどうしても気になる。
「文学」こそが、人に生きる力を与え、そして向かうべき指針を与えてくれるのではいだろうか。いずれ、読み手としてではなく、送り手、として文学に関わりたいものだ。

2011年6月16日木曜日

「千葉県民の日」に考えた、行政のこと

6月15日は千葉県民の日だという。千葉県民になって5年目にして初めて知った。
公立の学校が休みだったり、県の施設の入場料が無料となる、といったことが目立った動きなのだろうか。
今年から小学校に入った娘がいなかったら知り得なかったことかもしれない。

以下は、千葉県のHP
http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/kenminnohi/

記念日がはたして必要だろうか。まして、学校を休みにする必要があるだろうか。
(ちなみに、私立学校に対しては、休校にする強制力はないので、おそらく通常通りではないだろうか。)

「休みになるからうれしい」といった意見は別にして、この記念日を必要と考える県民がいるとは思えない。おそらく、県庁職員だって心の中ではそう感じているはず。
しかし、行政としては、廃止するなんてことは絶対言い出せまい。誰もが心で思っていても言い出せないのが行政組織だと、私自身のささやかな(たった6年の)役所勤務経験からそう確信する。
全4条からなる条例で定められていることだから「廃止」となればそれなりの手続きが必要であろう。しかし、条例で定めたことだからこそ、といった視点でも考えたい。
法律というものを解釈するときは、立法趣旨、立法者の意思、といったものに立ち返るべきだと、何かで読んだことがある。条例も広い意味での「法」……。

県民の日制定の趣旨が、条例の第1条にもあるように「県民が、郷土を知り、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇り得るより豊かな千葉県を築くことを期する」ことにあることは間違いない。
その趣旨そのものへの賛否は置いておくにしても、現状を見れば明らかに、かけ離れてしまっている(そのことを一番承知しているのは、県庁で、県民の日担当となっている職員であろう。)。
つまりは、この条例はもはや機能していないのではないか、という冷静な判断があっていいと思うのである。(いや、機能していないと思うなら、機能させる努力を、というのが優等生的回答かもしれないが。)
 
こういった事業は、国、県、市町村を問わず山というほどある。
街を歩いて目にする「○○デー」ポスターなどもそうだろう。有名人を起用してのものだ。
(担当者にとっては、「○○さんと会ったよ」なんて言うことぐらいの思い出しか残らないわけで。)
 
何かを廃止した、というのは業績にならない、というのが行政の世界の文法であったような気がする。しかし、もしかしたら、時代は変わっているのかもしれない。昨今の財政状況や事業仕分けの影響などで、「私は○○○事業を廃止したよ」というのが、その職員の業績としてカウントされる空気があるのだろうか。
しかし、それでは、行政のダイナミズムを感じることもできないわけであるが。高度経済成長時代とは行政の位置づけが大きく変わりつつあるのだと思う。

で、話は戻って6.15。
小学1年の娘でさえ、その可笑しさ、不思議さが何となくわかるのである。「県民の日ってだけで休みなの? 何で今日が県民の日なの? パパは休みじゃないよね。私だけ休んでもあんまり意味ないね。……」。

2011年6月5日日曜日

柏倉先生のラジオ

『指導者はこうして育つ』(仮)の著者である柏倉康夫先生は、定期的にラジオに出演していらっしゃる。古巣であるNHKでの出演。直近では、6/3朝の『ラジオ朝いちばん』の「時の話題」というコーナー。
そこで、「フランスの大学入学試験」ということで10分弱のお話があった。
これは、まさに本書の案内、といえるもの。

NHKのHPにアクセスすると、全く同じ音声で、聴ける状態です。
ぜひ、お聴きいただければと思います。
アクセス方法は以下の通りです。

まずは、
●NHKラジオ第1のトップページへアクセス http://www.nhk.or.jp/r1/
●次に、「ラジオあさいちばん」へ。
●そうすると、その下に、「過去の放送の一部がおききになれます」とありますので、
そこの「時の話題」へアクセスください。

こんな説明の仕方で宜しいでしょうか。
直接にリンク先を貼り付けようとと思いましたが、
「NHKが承認した場合を除いて、NHKトップページ以外へのリンクはお断りいたします。」
との表示が目に入ったので、躊躇しました。
そういうものなんでしょうか……。

2011年6月3日金曜日

本を出します(『入門 自由民権運動史研究』)

ホームページに「近刊案内」として真っ先に掲げたのがこの本だったかもしれない。
安在邦夫先生の『入門 自由民権運動史研究』を紹介したい。
私が説明するまでもなく、安在先生は、自由民権運動史研究の第一人者。先生は、昨年3月に早稲田大学を退職なされ、現在は神奈川大学で教鞭をとっておられる。

「これから自由民権運動をじっくり勉強してみたいな」と思っている学生や、「そもそも自由民権運動って?」とイチから勉強したいと考える向学心のある方、そして「自由民権運動研究にはどんな蓄積があるの」といった疑問をお持ちの隣接分野の研究者の方、などへ向けて送り出したいと思う。

本書は、大きく分ければ、以下の3本立てと言えるだろうか。

 1 自由民権運動史概観
 2 自由民権運動史研究の流れ
 3 自由民権運動史関係の文献と全国にある記念館紹介

原稿を拝読し、また類書を読ませていただくと、戦後60余年の間に、多くの研究者が、様々な立場から、自由民権運動とは何だったか、と論じ合っているようである。安在先生は、自らの立ち位置を鮮明にしながらも、全体を鳥瞰するような形で論じて下さる。
1本目は、ある百科事典で「自由民権運動」という項目を担当したときの文章をベースに、そして2本目は、市民向けの講演記録をベースにしている。
現在、鋭意加筆、改訂中。
お忙しい合間での作業なので、少し時間がかかるかもしれないが、私としてはゆっくりゆっくりと満足いくまで加筆いただきたいと考えている。
全体で、200頁ちょっと。ハンディなものに仕上げる予定。

2011年5月31日火曜日

『エリートのつくり方』改訂版、刊行決定余話

吉田書店のHP「近刊案内」で、具体的な本を紹介できるようになったこと、まずは著者の方々に御礼申し上げたい。
http://www.yoshidapublishing.com/books.html

『指導者はこうして育つ』という仮題のもと、今秋の刊行を目指している本は、ちくま新書として、1996年に『エリートのつくり方』という書名で刊行されたものの改訂版、という位置づけである。
この本は、私が学生時代に手にし、それ以来、何度も(今の住まいは、10回目!)引っ越しながらつねに書棚に鎮座し続けた1冊だ(新書という形態から、ついついあちこちに置いてきぼりになるはずなのに)。
これ一冊でフランスの教育がどんなものか、手に取るようにわかるのである。
私がこれまで会った(数少ないが)フランス人の多弁さの理由ももしかしたらこうした教育の“成果”かもしれない、と思うのである。
ミッテラン、シラク、バラデュール、ド・ビルパン……といった政治家と此方の政治家の面々を比較すると、誰もが思うに違いない。何かが違う、と(「何かが」違うのである)。
彼らの思考、行動の根っこには、やはり、フランス独特の教育(内容、システム)が影響しているのではないだろうか。この本は、そうした思いを一層強くさせてくれる。
そして、「哲学」と「数学」の持つ意味を再考するきっかけになるのではないだろうか。
私たちが、書店で目にする「・・・でわかる哲学」や「・・・大学への数学」などがすべてではないのだ!
詳しい内容については、後日、HPなどでお伝えしていきたいと思う。

ところで、この本の著者、柏倉康夫さんは、私にとっては学生時代以来の憧れの人。学生時代にジャーナリストを目指し(もちろんNHKも受験した!)、フランス語を第2外国語として選択し(トゥールに1か月滞在したりしたものの成果ゼロ!)私には、フランス語を自在に操る「柏倉解説委員」の姿は雲の上の人のように映っていた。
その後、京都大学、放送大学へ移られ、「文学者」としてマラルメ研究などでご活躍されていることは、メディアを通して存じ上げるのみ。ますます遠い「雲の上の人」であり続けた。
立ち上げたばかりの社からの復刊をお願いできるだろうか、一面識もない者にその資格はあるだろうか……。そんな悩み、不安とともに、お手紙を差し上げたのが、GW前であった(そう、ご住所すら存じ上げなかった!)。
柏倉先生は、そんな私の申し出を快諾下さったのである。初めてお目にかからせていただいたときは、嬉しさと緊張でいっぱいだった。
現在、ご多忙の中、全体を見直しながら加筆、訂正いただいている。元の新書版とは一味もふた味も異なった1冊に仕上げたい。

ちなみに、このちくま新書のベースにもなっている「ETV特集 パリ・エコール・ノルマルの二百年」(94年11月放送)は、当然リアルタイムで観ている。もちろん、ビデオテープに撮っている(ついこの間、苦労してDVDにダビング済み)。
本当なら、この映像とともに本書を読んでいただきたいぐらいである。

2011年5月27日金曜日

本を出します(『指導者はこうして育つ』)

2冊目の近刊案内として『指導者はこうして育つ――フランスの高等教育~グラン・ゼコール~』についてご紹介したい。
この本は、柏倉康夫著『エリートの育て方――グランド・ゼコールの社会学』(ちくま新書、1996年)の改訂版、という位置づけである。
著者の柏倉康夫先生は、放送大学名誉教授で、元NHKの記者、パリ支局長、解説主幹などを務めたかただ。場合によっては、マラルメ研究の第一人者、という紹介がいいのだろうか。筑摩書房、左右社などから多数の著書が出ている。
学生時代にジャーナリストを目指していた私にとっては、やはりパリ特派員としての印象が強い。この本も、当時NHK解説主幹としてご活躍中に著されたものだ。
さて、この本のどこに魅力があるのか。
なんといっても、私たち日本人が直面する教育問題、政治問題を解く手がかりを与えてくれるのである。
ヨーロッパから学ぶものは何もない、というのはまだ早い。まずは彼方の真の姿を覗いてみようではないか。
例えば、大学入試だ。ちょうど、震災前には京大入試のカンニング事件などがマスコミを賑わしていたが、もし、以下のような入試問題だとしたら、カンニングなどあり得ただろうか?

「幻想のない情熱というのはありうるか?」
制限時間4時間で、論文で答えよ。……

私など、頭を抱え込んでしまう。
フランスの大学入試(バカロレア)では、文科、理科を問わず、哲学を受験しなければならないらしいのだ。
その問題が、例えば上記のようなもの。
もちろん、そのための参考書はある。虎の巻だってある。
しかし、此方、日本の受験と比べれば、遥かに意義ある問題に思えてしまう。

この本は、単にフランスの教育を紹介するためのものではない。私たちの日本の将来を考えるために寄与するはずだ。
「リーダー不在の日本」。そんな声を誰もが評論家のように叫ぶ。だったら、リーダーたる人物を社会全体で育てようではないか。ぜひ、その糸口を見つけてほしいとの願いを込めて、この一冊を送り出したい。

2011年5月19日木曜日

本を出します(『グラッドストン伝』)

「出版社を立ち上げた」と言っても、やはり本を出さなければ、世間には認知してもらえない。何ら具体を持たないままの4月1日のスタートであったが、ようやく、近刊案内として、お知らせできることになったのは、誠に嬉しい。
今日は、そのうちの1冊、『グラッドストン伝――政治における使命感』(神川信彦先生・著、君塚直隆先生・解題)についてご紹介。
この本は、1967(昭和42)年に潮出版社から出され、その年の毎日出版文化賞を受賞するなど、各方面から高い評価を得た(と確信できます)。最初は、上下2巻本として、その後1977(昭和52)年には、潮選書として改版されている(今回は後者を底本とさせていただくつもりである)。
合計どれだけの数が市場に出回ったのかわからないが、今では絶版状態になっており、私自身も、インターネット古書店で購入したぐらいだ。
このたび、復刊するに当たっては、ご遺族のかたにまずご了解をいただいた。信彦先生の奥様はじめご家族の方々は、まだ立ち上げたばかりの社からの出版にも関わらず快くご理解下さった。改めて感謝するとともに、いい本に仕上げることをここに改めてお約束したい。
そして、潮出版社からも小社からの復刊を了承いただいたことは、形式的な点とはいえ(例えば、他の老舗出版社がすでに検討していた、ということもあり得たわけで)嬉しかった。

ところで、「復刊」といっても、いろいろなやり方があるだろうが、私としては、“リニューアル”出版、と位置付けたい。
まず、紙面も組み直したい(底本は2段組みだが、文字の大きさもかえて1段組みにし、読みやすくしたい)。
そして、巻末には、イギリス近代政治史研究の第一人者である君塚直隆先生に「解題」という形で、ご執筆頂けることとなった。
なんといっても、この2点目は意義が大きい。
これまで何の面識もなかった者からの、しかもまだまだスタートしたばかりの出版社からの、突然のお願いにもかかわらず、君塚先生は、復刊の意義もお認め下さり、「解題」のご執筆をお引き受け下さった。深く御礼申し上げるばかりだ。
先生のこれまでの多数の業績のなかに、本書の「解題」を含めていただけることになるのは、夢のような思いだ。

いずれにしても、編集作業をしっかりと行い、出版社の名に恥じぬ本作りを進めていきたいと肝に銘じている。

2011年5月10日火曜日

独立するということ(4)

早いもので5月。独立してから1か月が過ぎた。少しずつ具体の仕事(つまり本作り)に取り掛かり始めた。原稿を読んだり、著者の先生方とお会いしたり、電話したり、メールのやり取りをしたり…、といった当たり前の仕事をしていることが嬉しい。そう、ようやく一歩前進した気分である。

朝起きてから夜布団に入るまで、どんな行動も仕事と関係して思考している、と言ったら大げさだろうか(仕事をしている、という意味ではない。ただ、頭のどこかで社のことを考えている、という意味です)。
今自分がやっていることが、社(といってももちろん社員は私一人だが)の全体の流れでどこに位置するのか、今やるべきことはこれでいいのか…etc.
常に自分を鳥瞰しているもう一人の自分がいるのだ。
私は、公務員時代も出版社勤務時代も、そうありたいと意識してきたつもりではいるが、やはり、こうして独立すると、組織の一員である時とは緊張感が違うな、と実感する。
時間の使い方、感じ方が全く異なるのである。

そして、独立してつくづく実感することをもう一つ。
仕事で多くの方々と接するが、その場その場で自分の責任で発言でき、相手にもそう受け取ってもらえること、これは何よりの違いかもしれない。

2011年4月28日木曜日

大阪で故郷(山形)を想う

創業して間もないのに、思い切って大阪、神戸方面を訪ねた(4/25, 26)。
お世話になった方々にご挨拶したり、旧友にあったり、と有意義な2日間であった。
東北生まれで、修学旅行もない高校を出た私にとって、関西は遠い土地であった。
就職してからも数えるほどしか訪れていない。
なにか見物するところはないかな、などと思いながら、宿泊したホテルに近い、ということで、中之島にある適塾へ足を運んだ。
緒方洪庵が開いた学塾で、福沢諭吉も塾生だった、ということぐらいの知識はあったが。。。。

蘭書を読むための辞書が1冊しかなく、奪い合うように使用した、とのこと。電子辞書全盛の今からは想像もできない。
入塾者600名ぐらいの名簿が残っているらしく、それらが都道府県別に集計されていた。
やはり大阪周辺(もしくは以西)からの入塾が多いのは当然だが、なんと山形から13名が。
ちなみに、秋田1、青森0、岩手4、宮城5、福島5、東京18、千葉7、、、、(この数字は、私のメモなので、誤りがあるかもしれません)。
ついでに調べてみたら、その13名のうち7名は米沢藩出身だとか。
たしかに、米沢は「東北の長崎」などと呼ばれていた、と郷土史家に聞いたことがあった。
当時、どんな思いで米沢からこの大阪に学びにやってきたのか。使命感からだろうか。向学心からだろうか。

ちょっと、故郷のことを自慢したくなった。
(そして、そのことを、本という形で世間に広められないだろうか、と考えてみたい。)

2011年4月21日木曜日

十数年ぶりの母校

独立してから、事務所の形を整えるのに忙殺されていたが、ちょっと一息ついたこともあり、八王子市南大沢にある首都大学東京を訪ねてきた。出版でお世話になった先生にご挨拶するためであった。
「首都大」とは、なかなか呼び慣れない。やはり私の母校は「都立大」だな、などと思いながらの十数年ぶりのキャンパス訪問であった。
事務所のある九段下駅から、都営地下鉄線・京王線に揺られながらの“小旅行”。学生時代に一人暮らしをした、下高井戸駅、仙川駅、調布駅、を通るたび、子供のように窓のほうに身体を180度回転させては駅の周辺を眺めてきた。九段下から60分で、大学の最寄り駅である南大沢駅に到着。
大学に入った92年ごろは、空き地が目立った駅周辺もいろんなビルが立ち並び、「街」になっていたのは嬉しかった。
キャンパス内に入ると、ほとんど当時のままの景色。
真新しかった建物も少し黒ずんで、かえって落ち着いたかな、そして、だいぶ緑豊かになったな、との第一印象。植樹して間もなかった当時の木々が南大沢に根を張ったということだろう。おそらく、平成生まれであろう学生とすれ違うたび、20年近く前のことを思い出した。
いい先生、いい友人、いい環境に巡り合えたことに改めて感謝。独立して新たなスタートを切ったこの時期、母校を訪れたことは、改めて原点に戻るきっかけになった。

2011年4月15日金曜日

独立するということ(3)

14日にようやく電話が開通。同時にPCもネットにつながる。
これで、ようやく世間との距離感が縮まった感じがする。一安心。
といっても、すぐに電話のベルが鳴るわけではない。
これで、たった5坪の部屋だが、ようやく仕事場らしくなってきた。お世話になった方々へも少しずつ「独立」のご挨拶を遅まきながら始めた。どう受け取ってもらえるか不安でいっぱいだが、とにかくは1冊目をきちんと世に送り出すことでしか、出版社としての存在証明は出来ないと思う。そう、ラーメン屋さんは、おいしいラーメンを提供してはじめてラーメン屋と名乗れるように。
「独立」した、といっても今はまだ「名ばかり出版社」なのだ。銀行で口座を開こうとしたら、お断りされたのだ。そう、「実体」がないとダメらしい。法人の登記簿を持っていっても何の意味もないらしい。世間は厳しいのだ。

2011年4月12日火曜日

独立するということ(2)

「勤め人」を辞めてから、まだ半月しか経っていない。
実態から言えば、まだ「独立」したとは言えないだろう。正確には、「独立」の準備に入った、というだけかもしれない。生産活動には従事できていないのだから。
一日でも早く軌道に乗せたい、と気持ちだけは前のめりになるが、焦っても仕方ない。気持ちだけで経営ができるものではない、と自らを落ち着かせている日々だ。
さて、
ここ1,2週間で実感したのは、いまやインターネットなしでは仕事も生活もままならない、ということ。
ノートパソコンを持っていても、それがネットおにつながっているか否かでは、価値が全く異なるのだ。
新しく借りた事務所がまだネット環境が整っていないこともあり、何とも心許なく感じている。
逆に言えば、ネットにつながってさえいれば、どこにいても同じ、なのだ。
(いま、このブログは自宅の食卓で書いている。昨日は、事務所に行ったものの、ネット環境を求め、千代田図書館で仕事をした…。)
働き方、がいつの間にか大きく変わってきているのかもしれない。
「独立」したことで、働き方そのものを自分で決めることができるようになったのはありがたい。もちろん、実際に富を生み出せなければ「働く」ことにはならないわけだが。

2011年4月9日土曜日

まだまだ始まったばかり

「勤め人」でなくなってから、1週間。
朝から晩まで自分の責任で動く。この緊張感はなんだろう。
私の場合、まだまだ動くだけで、それが「仕事」、すなわち経済活動に直結していないから、少々情けない。
しかし、まだ「独立」して数える程度。
これからが本番だ。
7日には、娘が小学校に入学。家から徒歩10分余り。校門まで送っていった(入学式へは参加しなかった。ほとんどのパパは参加するのかもしれないが…)。
6時半に目覚ましをセットして、笑顔で就寝。よほど、学校という社会が楽しみらしい。
予定通り、目覚ましのベル2回で、飛び起きていた。寝る時も起きた時も満面の笑み。
子供から教えられること多々ある。
娘も父も、それぞれのスタートとなった4月。まだまだ、始まったばかり。いや、最初が肝心か。

2011年4月3日日曜日

独立するということ

このブログもだいぶ間が空いてしまった……。
この期間、大きな決断をすることになった。
新しい社を立ち上げるかどうか、ということをあれこれ悩み続けたのである。思考は廻った。行きつ戻りつだった。
それで、どうしたか。
新しい出版社を自分で立ち上げることにした。
どれだけ大変なことか、無謀なことか・・・それは他人に言われるまでもない。
しかし、決めた以上、精一杯、そして何より“楽しく”やることだけだ。
結果は後から付いてくると信じたい。

独立する、ということ、それは「決断」と「責任」を自分で担う、という意思があるかどうか、かもしれない。
独立へ向けた準備をしながら、日々、そのように感じた。
事務所を借りる、出資金を払い込む、法人化の手続きをする、備品を買う……。
そして、お世話になる〔なった)方々へ御挨拶すること、そこでは私という個人が試されているのだと思う。
31日に、これまでお世話になった会社とはお別れした。
社長以下、社員の皆さんに、終業後、社内の打ち合わせテーブルで、お別れの宴を催していただいた。
葡萄酒で乾杯。2年9カ月の間、同じ空間で時間を共にしたという事実は大きい。
最後にこうしてお別れの「儀式」をしていただいたことに何よりも感謝。

1日は、静かに自宅のある八千代市で過ごした。新しい事務所に電話がまだ通じない、というのも一つの理由。
そして何より、(脱力感で)身体が都心に向かわな買った、というのが正直なところだろうか。
2日(土)は、31日にお別れしたはずのK社長の好意で、「引っ越し作業」完了。新しい事務所を、見ていただく。
ここで、精一杯働き、時折、笑顔でお会いするのが、何よりの恩返しなのかもしれない。
これからも引き続き見守っていただきたい。