2011年9月25日日曜日

3.11から半年。福島の桃、梨、林檎から考える

あの大地震から半年が過ぎた。時々余震が起こるものの、東京に住んでいると、3.11は少しずつ過去形になりつつある、と言うのが本当のところではないだろうか。
「あの時どうしてた?」 なんて会話を何気なくしている。

8月下旬、毎朝の朝食に福島の桃が一品加わったことを思い出す。そして、来週からは、福島の梨、が一品加わることを楽しみにしている。
桃や梨は、フルーツ王国と呼ばれる福島にある、妻の実家から送られてきた(くる)もの。

朝食はヨーグルトとコーヒーのみ、という私のいつもの朝食に、このときばかりは、一品加わることになる。(妻と子は、ご飯に味噌汁の規則正しい食事です)。

60歳を過ぎた老夫婦ふたりで、福島市郊外で果樹栽培を続けているのだが、原発問題で、先行きは全く不透明。
桃を送るという日の朝、「ところで、福島の桃は食べっか? 一応、放射能の検査はクリアしたげんど・・・」
そんな断りを、娘の家に桃を送る前に一言確認を取らなければならないほどになっている。
今が最盛期の梨も同様。

地震だけであったら、とつくづく思う。
地震当日は、あれだけの揺れで、築100年以上の木造の家も、屋根瓦一つ崩れなかったこともあり、むしろ、千葉に住むわれわれのマンションの方を心配していたくらいだ。
もちろん、大地の揺れ如きで、簡単になぎ倒されるような林檎の木ではない。

桃、梨、林檎、と続く、夏から冬にかけては、1年で最も忙しいものの充実した時期。
原発問題さえ起きなければ、今頃は、収穫の忙しさとともに、地震のことも過去形になりつつあったと思う。日常の経済生活を取り戻していたことだろう。

声高に何を訴えるでもなく、よく言えば淡々と生きてきた、ごく普通の福島県民。こんなことになっても、表立った行動などしていない。まあ、どうなることやら・・・と言う程度だという。
なぜもっと怒らないの? そんなもどかしさすら感じたくらいである。
しかし、彼らにとっては、そんな意味のない同情はかえって迷惑かもしれない。ただただ、3.11前の生活を求めている(懐かしんでいる)。復興でも復旧でも、なんでもいいのである。
テレビなどに映る、「発言する被災者」は、むしろ少数派なのかもしれない。「にわか福島県民」が増えることに、違和感すらかんじているかも。

私に出来ることといえば、ただただ自らの仕事を、生活を、真面目に送るだけかもしれない。
そう、1年後になる2012年3月11日まで、自らの成長を感じられるように。

2011年9月8日木曜日

1冊目を刊行できました!(『指導者はこうして育つ』)

出版社としての1作目ができました。
柏倉康夫先生著『指導者(リーダー)はこうして育つ――フランスの高等教育:グラン・ゼコール』(1995円)です。
本日8日には、流通経路にも乗った頃かと思います。
カバーや奥付に「吉田書店」などとあるのを目にしますと、改めて、出版社としてスタートしたことを実感いたします。
一人でも多くの読者を獲得したいものです。

これまで一面識もない柏倉先生にお手紙を差し上げたのが4月末。それからちょうど4か月たった8月末に、先生に本をお渡しできたことは、何とも嬉しくありました。ここに改めて御礼申し上げます。

全国の書店に「並ぶ」というのは、小出版社の場合はなかなか難しい面はありますが、どこの書店からもご注文いただくことはもちろん可能です。そして、小社への直接注文も承っております。(HP内の注文フォーム http://www.yoshidapublishing.com/shopping.html
都内の大型書店には配本されていると“信じ”、これから神保町の書店を覗いてまいります。