2011年6月16日木曜日

「千葉県民の日」に考えた、行政のこと

6月15日は千葉県民の日だという。千葉県民になって5年目にして初めて知った。
公立の学校が休みだったり、県の施設の入場料が無料となる、といったことが目立った動きなのだろうか。
今年から小学校に入った娘がいなかったら知り得なかったことかもしれない。

以下は、千葉県のHP
http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/kenminnohi/

記念日がはたして必要だろうか。まして、学校を休みにする必要があるだろうか。
(ちなみに、私立学校に対しては、休校にする強制力はないので、おそらく通常通りではないだろうか。)

「休みになるからうれしい」といった意見は別にして、この記念日を必要と考える県民がいるとは思えない。おそらく、県庁職員だって心の中ではそう感じているはず。
しかし、行政としては、廃止するなんてことは絶対言い出せまい。誰もが心で思っていても言い出せないのが行政組織だと、私自身のささやかな(たった6年の)役所勤務経験からそう確信する。
全4条からなる条例で定められていることだから「廃止」となればそれなりの手続きが必要であろう。しかし、条例で定めたことだからこそ、といった視点でも考えたい。
法律というものを解釈するときは、立法趣旨、立法者の意思、といったものに立ち返るべきだと、何かで読んだことがある。条例も広い意味での「法」……。

県民の日制定の趣旨が、条例の第1条にもあるように「県民が、郷土を知り、ふるさとを愛する心をはぐくみ、共に次代に誇り得るより豊かな千葉県を築くことを期する」ことにあることは間違いない。
その趣旨そのものへの賛否は置いておくにしても、現状を見れば明らかに、かけ離れてしまっている(そのことを一番承知しているのは、県庁で、県民の日担当となっている職員であろう。)。
つまりは、この条例はもはや機能していないのではないか、という冷静な判断があっていいと思うのである。(いや、機能していないと思うなら、機能させる努力を、というのが優等生的回答かもしれないが。)
 
こういった事業は、国、県、市町村を問わず山というほどある。
街を歩いて目にする「○○デー」ポスターなどもそうだろう。有名人を起用してのものだ。
(担当者にとっては、「○○さんと会ったよ」なんて言うことぐらいの思い出しか残らないわけで。)
 
何かを廃止した、というのは業績にならない、というのが行政の世界の文法であったような気がする。しかし、もしかしたら、時代は変わっているのかもしれない。昨今の財政状況や事業仕分けの影響などで、「私は○○○事業を廃止したよ」というのが、その職員の業績としてカウントされる空気があるのだろうか。
しかし、それでは、行政のダイナミズムを感じることもできないわけであるが。高度経済成長時代とは行政の位置づけが大きく変わりつつあるのだと思う。

で、話は戻って6.15。
小学1年の娘でさえ、その可笑しさ、不思議さが何となくわかるのである。「県民の日ってだけで休みなの? 何で今日が県民の日なの? パパは休みじゃないよね。私だけ休んでもあんまり意味ないね。……」。

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