2010年7月7日水曜日

私の道程17(トゥールでの1カ月)

大学3年の夏休みを利用したフランスへの短期語学留学は、私にとって初めての海外渡航となった。成田空港に行くのももちろん初めて。一応、APEFという団体での渡航だから、集合場所などを定められての行程でった。トゥールへの留学組はおよそ20人ぐらいだったと思う。だいたいが同年代。しかし、私以外はすべて女性。引率として、フランス語の教師がついていくというシステムだったが、われわれには青山学院の石崎晴己先生が引率して下さった。学生と1か月も行動を共にして下さったのである。今から振り返れば、藤原書店から定評ある訳書を次々に出され始めるころで、お忙しい合間をぬっての「お仕事」だったのではなかろうか。
さて、パリに数日間滞在し、一路トゥールへ向かった。
トゥールでは、語学学校のそばにある学生寮に寝泊まりした。美しい街並みはすぐに気に入った。プラス・プリュムローと呼ばれる広場を中心に街が形成され、徒歩でぐるりと廻れる。パリの喧騒とは異なり、中世にタイムスリップした感じすらあった。テレビもない生活だったため、なおのこと、そう感じたのかもしれない。当時はパソコンもインターネットもないわけで、日本のことは全く頭から除外されたのであった。日本で何が起こっているのかなど全く分からなかったのである。もちろん、国際電話をかけたのも1,2度程度。そういう環境におかれたこと、今から考えると貴重なことだった。
ところで、肝心の授業である。クラス分けの試験をされて、即授業開始。文法の知識があったから、ペーパー試験は恐らくそれなりの点数を獲得したのかもしれない。実力以上のクラスだった。隣はメキシコ人の女性。同世代で、将来はアフリカで国際協力の仕事をしたいということだった。確か、ペリラという名で、今でもはっきりと彼女の顔が思い浮かぶ。小柄でいつもスニーカーを履いて闊歩していた。
1カ月はほんとにあっという間だった。ちなみに、フランス語のレベルがその後どうなったかは問わないでほしい(いつかもう一度勉強をしようと考えてはいる)。
夕食はすべて外食だった。たった一人でビストロに入ってメニューを見て注文する、ムッシュが「ボナペティ」と美しい料理を運んできて、「トレビアン」と満足げに笑顔で御礼をする……それらの行為がいつの間にか普通にできるようになった。ワインを当然のように毎晩口にしていたような気がする。
たった1か月のトゥール滞在だったが、数日間だけの旅行やパック旅行では得られない経験だった。何より、街を行き交う人々の笑顔は忘れられない。生活を、日常を楽しんでいる雰囲気が全身から湧き出ているようなのだ。ちょっと大げさかもしれないが……。パン屋、タバコ屋の店頭で会話を楽しむ人々、昼間から広場のテラスでワインを飲む老夫婦。市場で野菜を買うにも互いに目と目をあわせ、「このリンゴは甘いよ」なんて声をかけられるのは普通の出来事であった。しかし、コンビニでの買い物が普通になっていた私にとっては新鮮だった。生まれ故郷の山形でさえ、そんなのんびりした雰囲気はないのであったから。
おそらく、15年たった今でもトゥールの街並み、生活者の笑顔はそのままではないだろうか。
トゥールのことで付け加えるとすれば、妻みちよとはここで知り合ったことになる。学習院大の仏文科の学生として参加していたのだが、何気ない会話をしたのが始まりで、そのまま現在にいたっている、というわけである。
彼女のほうは、何とか今もフランス語を続けている。
いずれ、娘を連れて3人でトゥールを再訪したいと念じている。

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