2010年7月5日月曜日

私の道程16(フランス(語)との出会い、そしてトゥール行き)

第2外国語として、フランス語を受講した。これは、予備校時代、「数学科ならフランス語かな」、なんていう予備校講師の話を真に受けて、何の迷いもなく選択したのだった。英語など決して得意科目でなかったが、語学の勉強そのものは好きだったので、1,2年時はそれなりに勉強した。授業が面白かったということもある。
1年時の担当が、宮下志朗先生、井田進也先生という一流の先生だったことも多分に影響している。お二人とも、理科系の学生だからと言って決して手抜きせず、丁寧にフランス語の基礎を教えて下さった。フランスという国が一気に身近に感じられたものである。お二人の博覧強記ぶりは、授業からも感じられた。宮下先生が東大に移られて、テレビなどでも御活躍なさっている姿は、授業での雰囲気そのままである。中江兆民研究でも有名な井田先生の授業は、時に、「さくらんぼの実る頃」(Le Temps des cerises)などのシャンソンを一緒に歌ったりするなどフランスに一歩も二歩も近付く気分になったものだ。2年時の担当は、窪川英水先生と藤原真実先生だった。窪川先生の授業は、フランス映画を見ながら、フランス人の生の発音に触れるというもので(当時『ふらんす』で映画の対訳コーナーを連載なさっていたと記憶している)、ロマーヌ・ボーランジュなどの女優の名を知るきっかけになった。藤原先生は、当時まだ専任講師ということだったが、今は准教授として都立大(というか首都大)で御活躍のようである。
さて、そんな素晴らしい先生の授業を受けたのに、単位を取るためだけ、と考えるのはもったいなかった。語学のひとつはものにしたいな、という思いもあった。そんな時の転部の決心。「法学部生への準備期間」ということで、時間はたっぷりあったから、アテネフランセへ通うことにしたのである。NHKテキストの裏にある広告をみたのだと思う。誰に勧められたわけでもなかったが、毎週土曜日の週1回、4月から通い始めた。文法はある程度習得済み、ということで、授業には十分ついていけた。これに気を良くして、夏休みには、フランスへ、と、またまた思い切った決断をしたのである。海外に一度は行っておきたい、という思いもあった。当時はバブル崩壊したとはいえ、まだまだ海外旅行ブームといったものがあった。昨今の内向きの日本社会、というイメージとは全く異なり、特に女子学生の卒業旅行は海外、と相場が決まっている雰囲気だった。それこそ、映画だって邦画よりも洋画が常に人気上位であり、大学の新設学部は「国際」と冠するものが多かった。
夏休みの1カ月を利用して、トゥールという街に滞在したのである。APEFというフランス留学を支援する団体を通しての申し込みであった。高校の世界史で「トゥール=ポワティエ間の戦い」と聞いたことがある、という程度の知識でのトゥール行きであった。1カ月間、学生寮に寝泊まりしながらの生活であった。

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