2010年6月21日月曜日

私の道程15(数学科から政治学科へ)

3年になってすぐだと思う。数学科でほんとうにいいの? という不安、不満が頭に浮かんだ。授業が数学一色になったものの、数学の楽しさ、といったものは感じられないままだった。漠然と頭に描いていた数学教師の道についても、その熱は冷めつつあった。むしろ、社会問題への関心が強くなり、将来はジャーナリズムの世界に進みたいと考えるようになっていたのである。当時、朝日新聞で編集委員として活躍していた石川真澄さんが、理系の出身(九州工業大学)だったということもあり、数学科を卒業してそれを武器にジャーナリストに、なんていう夢を描いていたのだ。興味関心の向くまま雑多な本を読んでいたものの、それが深い思考を伴うものでなかった面も自覚していた。好きな勉強をしてその道に進めたらいいな、そういう単純な思いが日々強くなったのだった。
3年に進んだ途端、時間割から文系科目が消えた寂しさもあり、思い切って政治学への転科を決心したのであった。一度舵を切ったらその方向に進む、という性格がここでも現れたのだと思う。
「決心したら行動あるのみ」。理系から文系への転部は比較的緩やかなこと、書類審査が中心とのこと、でもすでに数学科の3年になっているため、もう一度法学部の3年にならざるを得ないこと、数学科に属するうちから法学部の授業は取れることなどなど、情報を収集したのだ。
このとき、いきなり相談させていただいたのが、それまで何の面識もなかった御厨貴先生であった。ジャーナリズムの世界に進みたい、政治学を学問として学んでみたい、だから法学部に移りたい、そんな単純な論法で自分の思いをぶつけた20歳の若者に、先生は、丁寧に対応してくださった。たしか、「ニューヨークタイムズレビュー」などを読むといいよ、なんてアドバイスもいただいた。そして、まだ数学科に在籍しながら、次年度の法学部への転部を前提にして、先生の「日本政治史」の講義を受講したのであった。先生の授業は、VTRを用いた授業で、視聴覚室が教室であった。当時からすでにご多忙であったため、時折休講もあったが、正月早々(確か1月5日)の、まだ大学がひっそりした中での補講があったことも記憶している。我々学部生にも熱心に教育をしてくださったことの証だと思う(残念ながら、正式に法学部に移ってから、御厨先生に、ゼミや講義で御指導を受けるチャンスはなかった)。
3年進級早々に転部を決意した私は、この1年を勝手に「法学部生への準備期間」などと位置付けた。つまり、転部を大前提にして、数学の授業は全く無視したのだ。授業は、上記のように「日本政治史」や「日本国憲法」などを受講した。かと言って、受講するにも限度がある(あった?)から、空白の自由な時間がたくさんあったわけだ。振り返れば、贅沢な学生だった。

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