2010年6月3日木曜日

私の道程8

3月に卒業して迷わず予備校に進んだ。ただ、どこの予備校にするかは大いに悩んでいた(楽しみながら)。ネットなんてない時代。情報はあくまで受験雑誌『蛍雪時代』で情報収集。理系志望だから、ということもあり、両国予備校、みすず学苑、などといった中小の予備校に目を付けていた。ただ、最終的には駿台予備学校を選択した。仙台での試験(予備校の受験?!)を受けて、晴れてお茶の水の本校に、となったのである。当時は、まだ山形新幹線が開通していないから、まだまだ東京は遠かった。福島まではL特急に乗り、東北新幹線に乗り継いでの小旅行。東京の路線図を片手に一人での日帰りだった。50万ぐらいだったかの入学金を現金で持ちながら、入学手続きに行った日を昨日のように覚えている。
家を離れるには住居の問題が当然ある。予備校生ということもあり当然にして予備校の寮にした(これには後日談あり)。
とはいっても、4月の上京は不安でいっぱいだったと思う。あまり記憶はないが。ただ、合格するまでは帰ってこないよ、なんて威勢のいいことを言って旅立った。
ちょうど、中学時代からの親友S.H君も予備校進学のため上京する(こちらは、父親の仕事の関係で親子で上京)こともあったので、「独りぼっち」という思いはなかった。
余談だが、このとき(91年4月)、都庁が新宿に移転し、また鈴木俊一氏が磯村氏を破って4選を果たした。上京する朝はまさに鈴木が当選を果たしたその日だったことを覚えている。

結果として、この年が私と東京(都会)との付き合い、葛藤……の始まりとなった。北大に進むまでの1年間の付き合いのつもりだったのに。

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