2010年6月4日金曜日

私の道程9

予備校時代を述べる前に、高校時代にちょっと戻りたい。
米沢興譲館高校の3年間が全く無味乾燥だった、ということではない、と(そう思いたい)いうこともあるからだ。
記憶に残っている「先生」は、となると、1人あげられようか。
すでに亡くなったらしいが、佐々木謙助という国語の教師である。入学早々に現代国語を習い、その年に定年退職だった。中学以来、国語、という科目は苦手であったがむしろ好きなほう、であった(いや、もしかすると、佐々木先生のお陰で、文章を読むことの楽しみを覚えたのかもしれない)。
佐々木先生は、文学、文芸、といったものの楽しさを表情豊かに話してくれた。大学時代は同人誌を作っていたとか、歩きながら本を読んだ、とかとか、他愛もない内容だったが、実に楽しかった。決して、文学とは、などという大上段に構えた話ではない。この人は本当に本が好きな人なんだなあ、と思ったものだ。
教科書で出てきた、大岡昇平の「靴の話」は、忘れられない。戦争がひとたび起これば、人というものがどのように変わるのか、戦争は決してしてはいけない、云々、そういう「道徳めいた」ことを直接的に授業で述べたのではなかった。淡々と、大岡文学なるものを、“青少年”に伝えただけだと思う。先生が口にした言葉を覚えているわけでもない。でも、それを学んだ私は、この短編から何かを感じたのである。大岡文学がずっと気になる存在であり続けたわけだ。
こういう出会いが、高校における授業のあるべき姿かもしれない。
そういえば、矢内原伊作という名が、脳裏にインプットされたのも佐々木先生の授業だった。

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