2010年6月8日火曜日

菅総理の誕生で何を思う

菅総理が誕生した。総理が交代した、といったほうが分かりやすいかもしれない。
72(昭和47)年生まれの私が、「総理大臣」として「日本で一番偉い人」なんて言う形で認識したのは大平正芳氏が最初だったと記憶している(小学2年生頃か)。そう考えると、鈴木、中曽根、竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、と18人も、「偉い人」を末端から眺めてきたことになる。菅さんが19人目である。ということは、恐らく(いや当然)、大臣はもっと代わっている……と思って、大蔵大臣だけ調べてみたら、大平内閣の金子一平氏から鳩山内閣の菅氏まで25人(ちなみに、私が記憶に残っているのは鈴木内閣のミッチー蔵相から)。権力者がこれだけ頻繁に代わることをどう考えたらいいのか、私には分からない。ただ、ひとつ気になるとすれば、私たち末端の人間までもが「評論家」に近づきつつあること。メディアのお陰だろうが、誰もが一家言持っている(と錯覚している)。
昔から、井戸端政治談議、床屋政談、などという言葉があるくらいだから、庶民が政治を語る姿は今に始まったことではない。
しかし、これが、シラケ、になるとすれば、やはり健全な姿ではない。「大きな時代の節目にいる」、と思いたいが、この言葉自体、湾岸戦争のころ、つまり私が選挙権を有したころから言われ続けているような気がする。
来年小学校に入る娘が、「ソウリダイジンって?」とか「テンノウヘイカって?」と聞き始めた。人生の先輩として親切に教えなくてはいけないと思いながら、分かりやすく伝えられずにいる。

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