2010年6月1日火曜日

私の道程6

中学を終えると、米沢興譲館高校へ進んだ。一応、地元の進学校、となっていた。結論を言えば、楽しくない、暗黒の3年間であった。大学に入ることが至上命題とされた生活に何の潤いも感じられなかった。その後、大学進学などで多くの友人と高校時代の話をしたが、本当に羨ましく感じたのを覚えている。もちろん、そのような3年間を送った私自身にも責任はあろう。だが、である。10代後半の多感な時期、若者が目を輝かせて学ぶことを、大人はサポートすべきではないか。そういった環境を作るのが教師の役目ではないか、とつくづく思う。とにかく、現役で国公立大へ、と「洗脳」し続ける教育だったように感じていた。つまり、できる奴は東北大へ、さもなくば山形大へ。こういう考えが蔓延していたのである(東北大、山形大それ自体に問題はないが)。かと言って、運動もやれ、という暗黙の空気も漂っていた。そう、文武両道という目標である。授業が終わって、そのまま家に帰ることは憚れた。でも、結果としてそういう教育は、金太郎飴のような人間を片っぱしから生み出すだけではなかったか、と思うのである。

2年生からは文系と理系コースに分かれ、私は理系を選択。好きだから、興味があるから、というより、理系科目のほうが成績がいいから、というだけ。安易な選択であった。
誰もが東北大を目指すことへのかすかな抵抗として、北海道大を志望していた。火山のこと、地震のことを勉強したいな、と思っていた。無理矢理作った目標とも言えたのだが。
そういえば、気象大学校を受験したのもいい思い出だ。文部省管轄でないため、センター試験などとは無関係。仙台地方気象台の会議室が受験会場だった。となりには観測機器が置いてあったりした。試験問題もユニークだった。たしか、数学の問題も、x 軸、y軸、z軸を、緯度、経度などと関連させて、といったように、天体と関連させていた。もちろん、全国15名の合格者に入るわけはなかったが。

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