2010年8月17日火曜日

私の道程20(故郷へ戻る)

なかなか現状に満足できないのが性分らしく、小出版で法律書を作り続けることに少しずつ疑問を持ち始めたのである。かと言って、大新聞、大出版への移籍は厳しかった。とりわけ90年代後半はバブル後の不況であり、新規採用、中途採用は抑え気味であった。
時折、故郷の山形を思い出すこともあり、田舎でじっくり暮らすのもいいかしら、などと考えるようになったのである。たった3人の会社ということで、「刺激」がなく、自分を大きな舞台で試したい、という思いもあった。そういう点では職種にこだわりはなかったのである。
しかし、選択肢としては、マスコミ関係以外には、公務員しか思い浮かべることができなかったのである。消極的選択、といったものだった。
ちなみに、妻・みちよとはすでに一緒に生活していた。籍は入れずに、葛西のマンションで生活をしていたのである。当時、みちよは銀座の法律事務所で事務員として働いていた。二人とも一人暮らしをするより安上がり、そんな「合理的な」判断もあってのことであった。
そんなこんなで、2001年4月から山形県庁に勤めはじめることになったのである。前途洋々、という気分にはなれなかった。これで東京ともお別れか、といった感傷的な気分での引っ越し作業であった。県職員としての抱負? 的確にこたえられない自分がそこにはいたのである。

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